Brionglóid

海賊と偽りの姫

海賊と偽りの姫

海港都市ヴェスキア

16

 ライラは目を見張った。
人魚(シレーナ)号を? 船ごとシュライバーの傘下に入るわけじゃないのか」
「この船は半分国王陛下のものなんだ」
 手酌で酒を継ぎ足しながら、ファビオは答えた。

「先代が借金して買った新造船だったが、私掠許可を受けた時に陛下に気に入られて残りを肩代わりしてもらった。もちろん私掠船全てがそんな優遇を受けるわけじゃない、名誉なことだ。とはいえ拿捕された以上、所有権がどうのってケチな話にはならんが、俺達としてもこの船ごと他国に身売りするってのはさすがに気まずい」

「じゃあ、この船はどうなるんだ? 売却するとか?」
「そこはまだ決まってない。ちょっとややこしい話になっててな、うちの国の内輪でだが」

 ファビオは吐息を漏らすと、ライラとバートレットに視線を向けた。

「エスプランドルって国が、王家と教会で権力が分散されているのは知っての通りだ。協力することもあれば牽制し合うこともある。で、今回は意見が割れた。交渉の打診を国は無視したが、教会は応じる気があると言ってきた」
「無視……? 海賊なんかと交渉など出来ない、ということですか?」

 バートレットがそう尋ねると、ファビオは緩く首を振った。

「海賊なんか、なんて思ってる王様なら俺達は私掠船乗りになることは不可能だったよ。それに、エスプランドルはもともと自国民の保護には積極的だった。金は出し惜しむがね」
「ではどうして今回だけそんな対応になったんですか」
「さあな。とにかく教会は国のその方針に反発して、内情を神父に伝えてきた。そして神父達三人の身代金は何とか教会が用意するので、人魚(シレーナ)号で帰国すること。無理なら船を破壊せよと指示してきたそうだ」
「破壊? それ、まさか国王の私掠船だから?」

 極端な内容にライラが唖然として言うと、ファビオは苦笑交じりに教えてくれた。
「いや。エスプランドルでは公式造船規則(ラス・レグラス・デ・ラ・コンストロクシオン・ナヴァル)に触れる内容、特に武装船については機密扱いなんだ。よそに漏らせば死罪が待ってる」

 まあ船作ってる国ならどこでもそんなもんだろうけどな、とファビオは当たり前の事のように言った。

 ライラはその内容でふと気がついた。
 人魚(シレーナ)号との戦闘の後、ルシアスと彼の間で取引があったのだと話に聞かされていたのだ。ファビオの情報提供があったからこそ、ルシアスはライラ達の奪還を決意できたのだ、と。

「……では、あなたはこうなる以前に、そもそも帰国できない身だったってことか」
「俺のセニョリータは察しが良いな」

 またファビオがとろけるような微笑みを向けると、ライラは今回は当惑することなく呆れた目で彼を見返した。

「笑ってる場合か。でも、だから今そんなふうに落ち着いていられるんだな」
「落ち着いている、というより元から覚悟してたからな。白を切って帰国しても、どうせ誰かが漏らすに決まってるし。だから、俺はいいんだ」
「まさかディアナ達まで帰れなくなるなんて、か」
「そういうことだ」

 ファビオは杯の中身を飲み干した。
 そんな彼をよそに、ライラは片頬杖をついて独りごちる。
「エスプランドルの国王は、半分とはいえ自分が所有してる船を異国の港に放置するつもりだったのかな。機密なのに」

「そこはたしかに引っかかる部分なんだよな」
 ジェイクも納得のいっていない表情で頷く。
「エスプランドルは船を国に戻すはずだと、ルースも予想していた。それには船を動かす乗組員も必要だから、一緒に引き取るだろうと」

「金の問題、ですかね」
 と、バートレットが何気なく呟くと、ジェイクは驚いて訊き返した。
「エスプランドルみたいな大国がか?」
「いや、案外あると思うな、俺は」

 意外にも同意したのはファビオだった。他の三人は一斉に彼に視線を移す。

「大国なのも事実だが、ここまで来るために散々戦争に明け暮れてきたんだ。気がつきゃ周りは敵国だらけ、因縁のない国を探すほうが大変という有様だ。戦いが起きる度に畑から男手がいなくなるのに、国のために励めと言われ続けて民は疲弊しきってる。国王はじめ貴族は全盛期と変わらず贅沢三昧。枯渇しない方がおかしい」

「でも奴隷市場は相変わらずエスプランドルの独壇場だろ?」
 ジェイクが問うと、ファビオは軽く肩を竦めた。
「初期ほどの大儲けはないと聞くよ。独占してるからこそ、他国の反発も強い。非人道的だの何だのと謗られりゃ、妬みとわかっていても教会は耳を傾けざるを得ないさ」
「妬みというか、ど正論だけどな」
 にやりとジェイクが笑う。

 そこへ、ようやく食事が運ばれてきて話は一旦中断した。食卓に大きな鍋が置かれ、蓋が取られた瞬間に食欲をそそる香りをまとった湯気が一気に部屋に拡がった。別の料理人がバゲットの入った籠を運んできて、バゲットを銀の皿に載せて各自に配る。酢漬けの魚や魚介の油煮なども食卓に並べられていく。

 その間に、鍋を持ってきた男は深皿に豆と野菜の煮込み料理をよそっていった。そのどろりとした様子からすると、前もって煮込んであったもののようだ。
 エスプランドルは煮込み料理も多かったっけと、不意にライラは思い出した。定番の品として常に用意してあるのかもしれなかった。

 料理人達が配膳を終えて出ていくのを待って、ファビオは口を開いた。
「急ごしらえの物ばかりですまないな。余裕のある時だったら、自慢の腸詰め(チョリソ)乾酪(ケソ)も振る舞えたんだが」
「ここが船の中だって考えりゃ、晩餐でこれだけ出されたら十分だよ」

 横からジェイクが宥めるように言うが、ファビオはやはり不本意らしい。
 近くにあった硝子(ガラス)の酒瓶をとると、
「でもこいつだけは妥協してないぞ。配給品じゃなく、俺個人で持ってきた秘蔵の果実酒だからな」
 と自慢気に振ってみせた。ライラはそれに合わせるように杯の脚を持って軽く掲げた。

「ああ、確かにいい酒だ。うっかり飲みすぎないようにしないと」
「大丈夫だ俺の可愛い人(ミ・ボニータ)、飲み過ぎたら俺がしっかり介抱してやるよ」

 再びライラに向かって妖しげな視線を送るファビオを、バートレットが胡散臭げにひと睨みする。
「そういうことなら、俺も遠慮なく飲ませていただきます」
 と、杯の中身を一気に干した彼に、隣のライラはぎょっとし、ジェイクは苦虫を噛み潰したような顔で「お前ら俺が医者だって忘れてるだろ」と溜め息をついた。

 口に運んだ人参を飲み下してから、船医(サージェン)は改まって切り出した。

「話を戻すが──金が無いってのは、つまり身代金を用立てられない。保留にしとくにしても、その間捕虜の扱いを保証してもらえるだけの心づけも無理ってことか? だから見ないフリするって?」

「そんなところじゃねえかなって思ってる。船を処分しろなんて返事出したら、中の人間の話も同時にしなくちゃならないだろ。となれば、無視するしかない」

 バゲットを手に取りながらファビオは答えた。固くなってしまっている古いそれを豪快に割ると、欠片を煮込みの中に放り込む。

「教会は立場上、不遇の信者を無視するなんて出来ないが、それもどこまで本気やら。あの神父様が焦れて、独断でルースに暴露したくらいだぜ?」

「クレメンテ神父が? そんな事をして、彼は大丈夫なんだろうか……」
 ライラがそう心配すると、油煮をつついていたジェイクが答えた。

「あの御仁はすでに腹を括ってるようだよ。内情を暴露しただけじゃない。自分の財産全て渡すから、人魚(シレーナ)号の乗組員を全員死んだことにして放逐してくれないかと俺達に依頼してきた。額面じゃあ到底足りないが、要は遺言だからな。ルースがここまで世話焼いたのは、奴なりの手向(たむ)けってことだろ」

 手向け。その意味をライラは考え、確かにルシアスならそうするだろうと思った。

 放逐とは、助けがくる見込みもない中で収監されるよりはまだいいということなのか。それならいっそ国を捨て、別の名前を名乗って新しい人生を送れと。

 だが、もうすぐ航海の季節が終わる。全員がそれまでに新しい船を捕まえられるとも限らないし、この極寒の地で野宿などというのは無謀だ。
 わざわざシュライバーに渡りをつけたのは、ルシアスがそこまで考えたからに違いない。

 乗組員たちの給料から毎月徴収するとはいえ、月に数百ギルダーなんて彼にとっては端金(はしたがね)だ。もちろんそれだけではないのだろうが、かけた手間に対して旨味が少なすぎる。

 しかしそれが一人の人間が生命をかけて頼んできた事なら、ルシアスは引き受けるだろう。そういう男だと、ライラは素直に受け止めることが出来た。